もし、目の前で心停止を起こして倒れている人がいたら、皆さんはどうしますか?
数分、いや数秒を争う救命の現場で、性別という理不尽な壁が立ちはだかっているとしたら、私たちはどう向き合えばいいのでしょうか。
実際、女性が心停止を起こすと、男性に比べて助けてもらえないケースが多いと言います。
今回は、海外の研究結果をもとにこの事態について考えていきます。
心肺蘇生法の実施率に男女格差がある
2017年から2019年のオーストラリアの研究が明らかにした衝撃的な事実。
それは、傍観者によるCPR(心肺蘇生法)の実施率に性差があったという、見過ごされてきた深刻な問題です。
男性が74%の確率でCPRを実施するのに対し、女性は65%。
この数字は統計上の数字ではなく、女性の命が男性よりも軽んじられている現代社会の影を如実に映し出しているのです。
トレーニングマネキンが語る不平等
CPRトレーニングの現場に目を向けてみましょう。
2023年の市場調査によると、世界中で利用可能な20種類のCPRマネキンのうち、わずか1体にしか乳房がないという事実が明らかになりました。
つまり、95%のマネキンが胸の平らな男性型なのです。
北米、中米、南米での研究では、さらに深刻な状況が浮き彫りになりました。
- マネキンの88%が白人
- 94%が男性
- 99%が痩せ型
これは偶然ではないでしょう。
トレーニングツールそのものが、無意識のうちに性差別的な学習環境を生み出しているのです。
解剖学的に言えば、胸の有無はCPR技術に影響を与えません。
問題の本質は、偏見と無知にあるのです。
トレーニングマネキンが男性型ばかりである状況は、救命の現場における無意識の偏見を助長する危険性をはらんでいます。
皆さんは、今まで見たCPRマネキンの中で、女性のマネキンを見たことはありますか?
そもそも一般人がCPRマネキンに触れる機会が少ないものの、女性のマネキンの存在すら知らない方も多いのではないでしょうか。
もし、製造会社や発注者が意図して女性のマネキンを作らないようにしているのなら、これは恐るべき事態です。
命にかかわることですから、胸があるから恥ずかしいと言っている場合ではないのです。
心血管疾患は女性の最大の死亡原因
心血管疾患は、世界中の女性にとって最大の死亡原因となっています。
そして、病院外で心停止した女性はCPRを受ける確率が約10%低いこと以外にも、男性と比較して以下の特徴があることがわかったそうです。
- 生存率が著しく低い
- 心停止後の脳損傷リスクが高い
自分が助かる可能性があったにもかかわらず、性別が違ったという理由で命を落とすとしたらやりきれませんね。
女性が救助されにくい理由
CPRを躊躇させる心理的障壁は、以下のような複合的で根深いものがあります。
- 性的嫌がらせへの恐怖
- 女性の身体に触れることへの社会的タブー
- 女性の心停止を認識することのむずかしさ
シミュレーション研究では、これらの心理的障壁が現実の救命場面にも大きな影響を与えていることがわかったそうです。
驚くべきことに、バーチャルな環境でさえ、女性がCPRや除細動を受ける可能性は低いという結果が出ているのです。
女性の命を救うためにはどうすればいい?
では、周りの人が、心停止した女性を助けられるようにするにはどうしたら良いのでしょうか。
救える命が「躊躇」によってなくなってしまうことは避けなくてはいけません。
今回の研究結果をもとに、解決策を考えてみたいと思います。
多様性を反映したマネキン開発
マネキンの開発は、救命教育における最も重要な変革点になると思います。
現在のマネキンは、人間の多様性を完全に無視していると言っても過言ではありません。
効果的な救命トレーニングをするためには、以下の要素を徹底的に考慮する必要があります。
まずは、マネキンの見た目を変えてほしいところです。
胸があるマネキンのみを増やすだけでなく、異なる体型、筋肉量、胸部の形状、皮膚の厚さなど、人間の身体的特徴の複雑さをもたせることが重要でしょう。
例えば、高齢者、肥満者、アスリート、妊婦など、様々な身体的特徴を持つマネキンを開発することで、救命士や一般人は、よりリアルなトレーニングを受けることができます。
そうすることで、緊急時の対応力が向上するのではないでしょうか。
技術的には、3Dプリンティングや高度な医療シミュレーション技術を活用することで、これらのマネキンを低コストで製造できる可能性も考えたいです。
さらに、IoTセンサーや人工知能技術を組み込むことで、より高度なトレーニング環境を作れるでしょう。
包括的な救命教育プログラムの確立
性差を超えた救命教育プログラムの確立も急務です。
従来の医療教育は男性中心的で、多様性に乏しいものでした。
この状況を根本から変革するためには、以下のような多角的なアプローチが不可欠です。
教育カリキュラムの抜本的な見直しが最初の重要なステップとなります。
医学部、看護学校、救急救命士養成所において、ジェンダーバイアスを取り除いた教育モデルを導入する必要があります。
これには、解剖学、生理学、救命技術に関する教育において、性差を考慮した最新の科学的知見も含むべきです。
さらに、心理社会的側面の教育も重要です。
救命にまつわる社会的タブーや無意識の偏見に正面から向き合う教育プログラムが良いでしょう。
具体的には、以下のような要素を組み込むべきです。
- 無意識のバイアスに関する徹底的なワークショップ
- ジェンダーの多様性に関する学習
- 倫理的配慮と人権尊重に基づく救命アプローチの学習
一般人の意識改革の必要性
意識改革は、教育システムの変革だけでは不十分です。
医療従事者から一般人に至るまで、社会全体の意識が変わらなければ、近くに医療従事者がいなかった場合に女性を救えません。
しかし、これには時間がかかるでしょう。
医療従事者に対しては、継続的なプログラムを通じて、最新の科学的知見と社会的感度を常に更新する仕組みを構築すべきです。
年次の研修において、ジェンダーバイアス、多様性、包括的医療アプローチに関する最新の学習を必修化することが考えられます。
一般人に対しては、草の根レベルでの啓発活動が必要になるでしょう。
学校教育、コミュニティワークショップ、メディアキャンペーンなどを通じて、救命に対する社会的偏見を徹底的になくす必要があります。
特に、若い世代に対して、性差を超えた救命の重要性を早くから教育することが、長期的な社会変革に繋がるでしょう。
具体的な意識改革方法の提案
社会的偏見に対する啓発活動は、単発的なキャンペーンではなく、持続的かつ多角的なアプローチでないと効果は薄いでしょう。
そのため、以下のような戦略的な取り組みが良いのではないでしょうか。
- ソーシャルメディアを活用した啓発キャンペーン
- 成功事例の共有
- インフルエンサーや著名人を通じた意識改革
- 学際的な研究プロジェクトの支援
- 国際的なネットワークを通じた知見の共有と相互学習
一般人への情報拡散能力が高いのはやはりSNSでしょう。
複数のSNSを使い、地方自治体などが定期的に発信すれば、一般人の意識も変わるのではないでしょうか。
一人ひとりの行動が切り開く変革への道
最終的に、社会変革は一人ひとりの意識と行動から始まります。
心停止した人を助ける場面に出くわした時には、以下の点を覚えておきましょう。
- 状況の冷静な分析と迅速な判断
- 性別、体型、背景に関わらない平等な救命
- 生命の尊厳を最優先とするアプローチ
女性の救命率向上は、技術的課題というよりは、私たち一人ひとりの心にかかっていると言えます。
医療技術、教育システム、社会意識の変革を通じて、すべての生命を平等に尊重する社会に向けて前進しなければなりません。
正しい心肺蘇生法
最後に、正しい心肺蘇生法を改めてまとめておきます。
CPRの基本テクニックは、性別や体型に関わらず同じです。
- 胸の中央に手のひらの付け根を当てる
- もう一方の手を最初の手の上に重ねる
- 約5cmの深さまで強く押す
- 1分間に100~120回のリズムで胸骨圧迫を行う
重要なのは、躊躇せずに迅速に行動することです。
また、除細動器使用時の注意点は以下の通りです。
- ブラジャーは必ずしも外す必要はない
- ワイヤー入りのブラジャーは除細動器のパッドによる軽度の火傷に注意
- 治療を遅らせることは絶対に避けるべき
CPRにおける性差は、医療技術の問題ではありません。
これは、社会に根深く存在する偏見と不平等の象徴です。
私たち一人一人が意識を変え行動を起こすことで、性別に関わらず、すべての命を平等に、尊厳を持って救うことができるのです。
まとめ
CPRにおける女性の救命率の低さは、医療システムに潜む深刻な構造的問題を浮き彫りにしています。
トレーニング方法の抜本的な改革、社会的偏見の解体、そして救命教育が、この不平等を解消する鍵となります。
一人ひとりの意識と行動が、より公平で人間性豊かな社会に繋がるのです。
命の尊厳に境界線はありません。