がん治療中の患者さんにとって、深刻な歯の痛みは大きな課題の一つでした。
これまで、特定のがん治療薬や骨粗しょう症の薬剤を服用している患者さんは、歯の治療に大きな制限があったからです。
しかし、最近になって英国のガイ病院とセント・トーマス病院のチームが、この問題を解決する画期的な治療法を開発したというニュースが伝えられました。
この記事では、そのニュース内容と、日本のがんの現状を解説します。
がん患者さんが直面していた深刻な歯科治療の課題
がんや骨粗しょう症の治療を受けている患者さんにとって、歯の痛みは避けられない問題の一つでした。
これまでは、治療中の薬剤の影響で顎骨の治癒能力が低下し、抜歯などの処置を行うと骨壊死という深刻な合併症を引き起こすリスクが高まるとされていました。
骨壊死は、顎の骨が死んでしまう重篤な症状です。
この合併症は激しい痛みを伴い、治療が難しいとされています。
さらに、繰り返し感染を起こしたり、歯が抜け落ちたりするなどの症状も現れ、患者さんの生活の質を著しく低下させる可能性がありました。
また、進行中のがん治療にも支障をきたす可能性があったのです。
このリスクを避けるため、歯科医師の多くは抜歯などの処置を避ける傾向にありました。
その結果、患者さんは耐えがたい歯の痛みを抱えたまま、適切な治療を受けられない状況が続いていたのです。
画期的な新プロトコルの開発
このような状況を打開するため、ガイ病院とセント・トーマス病院のチームは、新しい治療プロトコルを開発しました。
この成果は、ブリティッシュ・デンタル・ジャーナルに発表され、医療界に大きな反響を呼んでいます。
新しく開発されたプロトコルは、4つのステップで構成されています。
まず、治療開始前に歯の3Dスキャンを行い、顎骨の状態を詳しく確認します。
次に、歯科医と腫瘍専門医が連携し、患者さんの状態に応じた治療計画を立てます。
特筆すべきは、この新プロトコルでは、歯を抜いた後に特殊な処置を行うことです。
歯科医師は歯茎を開いて骨のソケットを丁寧に磨き、滑らかにしてから再び閉じます。
この「歯槽形成術」と呼ばれる技術は、以前は骨壊死のリスクを高めると考えられていましたが、実際には治癒を促進し、傷口を保護する効果があることが分かったのです。
最後のステップとして、感染を防ぐために抗生物質が投与されます。
この一連の処置により、骨壊死のリスクを最小限に抑えながら、安全に歯の治療を行うことが可能になりました。
驚異的な治療成績
新しいプロトコルの効果を確認するため、研究チームは調査を行いました。
対象となったのは、薬剤関連顎骨壊死の発症リスクが高い46名のがんおよび骨粗鬆症の患者さんです。
調査では合計124本の歯の抜歯が行われましたが、驚くべきことに、手術後に骨壊死を発症した患者さんは一人もいませんでした。
この結果は、新プロトコルの有効性を明確に示すものとして十分でしょう。
99%以上という驚異的な成功率は、これまで治療を受けられなかった多くの患者さんに新たな希望をもたらすものとなっています。
実際の治療例 - キャシー・オニールさんの体験
この治療法の効果は、実際の患者さんの体験からもわかります。
71歳のキャシー・オニールさんは、この新しい治療法を受けた一人です。
キャシーさんは30年にわたる骨粗しょう症の治療歴があり、2016年には乳がんの診断も受けていました。
2019年には薬剤性顎骨壊死の治療を受けた経験もある、非常にリスクの高い患者さんだったそうです。
彼女は治療前の状況についてこう語っています。
「歯は弱く、とても敏感で、食事をするのも大変でした。痛みに悩まされる日々が続きました。歯科チームからは骨壊死のリスクがあるため、抜歯は避けたほうがいいと言われていました」
しかし、新しいプロトコルの開発により、2023年12月、キャシーさんはすべての歯を抜くことができたと言います。
治療後の回復も順調で、彼女は「これは間違いなく正しい決断でした。手術前は食事が本当に大変でしたが、今ではチップスも食べられるようになって、本当に嬉しいです!」と笑顔で語っています。
治療チームの取り組み
この成果の背景には、ガイズ病院の充実した医療体制があります。
同病院は英国最大の歯科腫瘍学サービスを提供しており、毎年400人以上の薬剤関連顎骨壊死の患者さんの治療を行っています。
また、この疾患のリスクがある200人以上の患者さんの管理も行ってるそうです。
ヴィノド・パテル氏が率いる20人以上の臨床医チームは、がん専門医と連携しながら、患者さん一人一人に合わせた個別アプローチを提供しています。
がん歯科サービスの責任者であるパテル氏は、この新しい治療法の意義についてこう語っています。
「現在の世界的なガイドラインでは、特定の薬の服用前に歯の検査を受け、治療中や治療後の抜歯を避けるよう推奨されています。この予防的な対応は確かに重要ですが、残念ながら、抜歯が避けられない状況も存在します」
さらに彼は、「これらの薬は疾患の治療に必要不可欠ですが、同時に患者さんの生涯にわたる歯の健康もサポートしなければなりません。そのため、患者さんのニーズに基づいて今回のプロトコルを開発しました。リスクのある患者さんの抜歯時に骨壊死を最小限に抑えることができ、痛みを和らげる治療の選択肢を作れたことを、非常に嬉しく思います」と述べています。
日英の最新アプローチから見える希望と課題
ここからは、日本に焦点を当てていきましょう。
がんは現代社会において、最も身近で深刻な疾患の一つとなっています。
特に日本国内では1981年以降、死因の第1位を占め続けており、年間約36万人もの方々が亡くなっています。
しかし、医療技術の進歩により、がんは「不治の病」から「治療可能な病気」、あるいは「共存できる病気」へと変化してきました。
日本のがん治療における現状と課題
日本国内では、新たにがんと診断される患者さんは年間75万人にも上り、男性の2人に1人、女性の3人に1人が生涯でがんを経験すると言われています。
がん治療の進歩により、患者さんの約6割が社会復帰を果たすまでになっていますが、その一方で、治療に伴う副作用や合併症の問題が新たな課題として浮上しています。
特に注目すべきは、がん治療中の口腔内のケアです。
先ほど抜歯の話をしましたが、口腔内のトラブルはがん患者にとって珍しくないものだと言います。
抗がん剤治療を受ける患者さんの約40%、さらに造血幹細胞移植のような強力な治療を受ける患者さんの約80%が、口腔内に何らかの副作用を経験すると報告されています。
日本でも、抗がん剤治療による口内炎や感染症のリスクに注目が集まっていますが、英国の新プロトコルは、さらに一歩進んで、がん治療中でも安全に抜歯などの処置を行える方法を確立しました。
これは、世界的に見ても画期的な成果といえます。
両国のアプローチの違いと共通点
日本国内では、がん治療開始前の歯科検診と予防的なケアに重点が置かれています。
特に、治療開始2週間前までの歯科受診が推奨されており、むし歯や歯周病の処置を事前に行うことで、治療中の合併症リスクを低減する取り組みが行われています。
一方、英国の新プロトコルは、がん治療中でも必要な歯科治療を可能にする革新的なアプローチです。
3Dスキャンによる事前確認、専門医間の緊密な連携、特殊な手術技術、そして術後の感染予防という4段階のステップで構成されているものでした。
両国のアプローチは一見異なるように見えますが、「患者のQOL(生活の質)向上」という共通の目標を持っていますね。
日本の予防的アプローチと英国の治療的アプローチは、相互に補完し合えるのではないでしょうか。
今後の展望と期待
がん治療の進歩により生存率は着実に向上していますが、それと同時に、より良い治療環境の整備が求められています。
英国の新プロトコルは、これまで治療を躊躇せざるを得なかった患者さんに新たな選択肢を提供し、日本の予防的アプローチは、合併症の発生リスクを低減させています。
今後は、両国のアプローチを組み合わせた、より包括的な治療戦略の確立を期待できると思います。
日本でも、厚生労働省が認定する「がん連携歯科医院」の増加など、専門的な歯科ケア体制の整備が進んでいますが、英国の新プロトコルのような革新的な治療法の導入も検討に値するでしょう。
この治療プロトコルがより多くの医療機関に導入され、世界中のがん患者の歯科治療選択肢が広がればいいですね。
日本国内では、年間75万人という多くの新規がん患者が発生する中、予防と治療の両面からアプローチできる体制の構築が急務となっています。
英国の事例は、その方向性を示す重要な指針となるかもしれません。
まとめ
がんの治療中でも安全に抜歯ができる。
そんな時代がついに到来しました。
新しい治療プロトコルの開発は、がん治療を受ける患者さんの数が増加し、生存率が改善し続けている現代において、特に重要な意味を持っているのではないでしょうか。
これまで通常の抜歯ができないと考えられていた患者さんの数は、かつてないほど増加しているそうですが、この新しい治療法は、そうした患者さんたちに大きな希望をもたらすものとなっています。