人生には、時として奇跡のような出来事が起こることがあります。
1984年、18歳と12歳だった2人の少年が、イギリスのヘアフィールド病院で心臓移植手術を受けました。
それから40年。
バート・ヤンセンさんとクライヴ・ドナヒューさんは、命の恩人である外科医との感動的な再会を果たしました。
今回ご紹介する彼らの物語は、医療の進歩と人間の可能性、そして生きることの素晴らしさを私たちに教えてくれています。
18歳の決断 バート・ヤンセンの物語
まずは、18歳で心臓移植をした方のストーリーです。
1984年初頭、オランダに住む17歳の少年バート・ヤンセンの身体に異変が現れ始めたそうです。
最初はただのインフルエンザのような症状でした。
しかし、日を追うごとに体力は衰え、学校生活にもついていけなくなっていきました。
検査の結果、バートは心筋症という重い心臓の病気を患っていることが判明しました。
心筋症により心室の壁が弱くなり、心臓が体中に血液を送り出すことが困難になっていたそうです。
当時のオランダでは心臓移植手術は行われていませんでした。
しかし、バートの担当医であるアルバート・マタート医師は、イギリスのヘアフィールド病院と親交があり、世界的な移植手術の先駆者として知られるマグディ・ヤコブ教授に連絡を取りました。
そして、バートは心臓移植の待機リストに登録されることになりました。
「すべてが信じられないほど早く進みました」とバートは当時を振り返ります。
「ヘアフィールドに到着してたった1週間後、ロンドンで大きな自動車事故が起き、2人の方が亡くなりました。そのうちの1つの心臓が私に適合したのです。後にマタート医師から聞いた話では、それは見事に適合していたそうです」
1984年6月6日、バートはヤコブ教授の執刀により心臓移植手術を受けました。
手術は成功し、バートの人生は劇的に変わりました。
新しい心臓を得て、彼は徐々に普通の生活を取り戻していきました。
テニスやバレーボールに興じ、フルタイムの仕事にも就けたほどの回復ぶりだったそうです。
さらに、バートは自分の夢を追いかける勇気も得たとのこと。
「2010年に私の夢の1つが実現し、飛行機の操縦を習い始めました」とバートは語っています。
「最終的にグライダー単独飛行の許可を得て、空での自由と喜びを実感できました。最近はペースを落とさなければなりませんが、それでも外出してできる限り健康を維持するようにしています」
12歳の少年の勇気 クライヴ・ドナヒューの物語
同じ1984年、イギリスに住む12歳の少年クライヴ・ドナヒューもまた、心臓移植を必要としていました。
クライヴは家族性拡張型心筋症という遺伝性の心臓病を患っていたそうです。
これはバートと同じ種類の病気でした。
幼い身体で大きな手術に挑まなければならないクライヴでしたが、彼は驚くべき強さを見せました。
手術後のエピソードは、クライヴの明るい性格をよく表しています。
「移植手術の後、病室でクリームケーキを食べているところをヤコブ教授に見つかってしまったんです」とクライヴは笑いながら回想します。
「手術後は食事制限があったはずなのですが、教授は怒りもせず、むしろ私が幸せそうにしているのを見て喜んでくれました」
当時、クライヴは英語がほとんど話せない状態でしたが、それが逆に幸いしたこともあったそうです。
「人が劇場について話している時、何について話しているのか分からなかったのを覚えています。演劇やミュージカルについて話しているのだと思っていました」と、バートは当時を懐かしく振り返ります。
彼の性格によるところが大きいと思いますが、言葉の壁が、むしろ不安を和らげる効果となった場合もあったと言います。
40年後の感動の再会
2024年10月、バートとクライヴは家族とともにヘアフィールド病院を訪れ、40年前に自分たちの命を救ってくれた医療チームと再会を果たしました。
そこには、手術を執刀したマグディ・ヤコブ教授をはじめ、術後の治療にあたったアンドリュー・ミッチェル医師、そして1980年代から2021年まで移植クリニックのシスターとして働いていたリタ・プレスネイルの姿がありました。
再会の場で、ヤコブ教授は感慨深げに当時を振り返っています。
「長い夜を覚えています。世間や新聞、同僚からの疑念や批判も覚えています。特に子どもへの移植手術については、多くの人が疑問を投げかけました」と教授は語ります。
「移植された臓器は子どもの成長に合わせて成長しないため、数年しか持たないだろうと言われました。しかし、今のあなたたちの姿を見れば、皆が間違っていたことは明らかです」
病院の見学中、バートとクライヴは、現在の心臓移植サービスの責任者であるフェルナンド・リースゴ・ギル医師とともに、移植を待ち、将来がわからない生活を送っていた10代の頃を思い出したそうです。
病院の廊下を歩きながら、2人は当時の不安や希望、そして手術後の喜びについて語り合ったとのことです。
幸せな家族の証
バートは1993年にペトラさんと結婚し、1996年と2000年に息子のグイドとイヴォを授かりました。
2017年に小学校での仕事を退職した後は、家族の家の管理と妻の仕事を手伝って過ごしています。
家族との時間を大切にしながら、毎日を充実して過ごしているそうです。
ペトラさんは夫の手術が家族に与えた影響について、涙ながらにヤコブ教授に語りました。
「私たちが10代の時、バートは私に『負担をかけたくないから、別の男性を見つけなさい』と言ったのです。でも私は彼の言うことを聞きませんでした。今では私たちは素晴らしい人生を送っています。あなた方とヘアフィールド病院がなければ、私たちの今はなかったでしょう」
一方、現在52歳のクライヴは、パートナーのニコラとスティーブニッジに住み、大手技術トレーニング会社の営業マネージャーとして活躍しています。
彼は熱心なランナーでもあり、フィットネスに情熱を注いでいます。
また、「ヘアフィールド ハムスターズ」として知られるヘアフィールド移植クラブの委員会メンバーとして、新たな移植患者とその家族のサポートにも尽力しています。
クライヴは自身の経験を活かし、移植を待つ患者さんやその家族に寄り添う活動を続けています。
彼の存在は、移植手術を控えた患者さんたちにとって、大きな希望となっているのです。
世界記録と新たな希望
2024年2月、バートは世界で最も長く生きている心臓移植患者としてギネス世界記録に認定されました。
6月6日には心臓移植から40周年を迎え、クライヴも10月27日に同じ節目を迎える予定です。
この記録について、バートは謙虚に語ります。
「自分がここまで来るとは想像もできませんでした。この記録に到達できたことは名誉なことですが、最も重要なのは、私が他の人たちの基準となれたことです。ドナーの心臓を持っていてもここまで生きられることが、これで正式に証明されました」
「この記録はまだかなり先に進むと思いますし、そのうち他の人が私の記録を破ってくれたら嬉しいです」とバートは付け加えます。
彼の言葉には、後に続く人々への期待と励ましが込められています。
現在のヘアフィールド病院と臓器提供の重要性
ヘアフィールド病院は今でもイギリス有数の心臓・肺移植センターとして活躍しています。
1984年当時、バートの手術は同病院で107件目の移植となりましたが、現在では年間50件以上の移植手術を実施しています。
2022年から2023年にかけては54件の移植手術を行いました。
しかし、心臓を待つ334人の患者さんがいる一方で、深刻な臓器提供者不足に直面しているのが現状だと言います。
多くの患者さんが待機リストに載ったまま、適合する心臓を待ち続けています。
同病院の心臓移植サービス責任者であるフェルナンド・リースゴ・ギル医師は、この状況について次のように語ります。
「バートさんの人生は、臓器提供によって一変しました。残念ながら、臓器提供者不足のため多くの人が待機リストに載ったまま亡くなっています。バートさんの話が、より多くの方々に臓器提供を考えていただくきっかけになればと願っています」
40年の歳月が教えてくれたこと
新しい心臓を受け取って30年以上が経過した今、バートさんは移植と拒絶反応を防ぐための投薬のせいで、健康上の問題を抱えるようになっています。
生涯にわたるアフターケアの一環として、彼はオランダのローレンティウス病院の医療チームに定期的に通院を続けています。
しかし、そうした困難を感じさせない明るい表情で、バートは語ります。
「あれから何年も経った今でも、ドナーからいただいた素晴らしい贈り物と、命を救う解決策を探し、手術を開始してくれたマタート医師に感謝しています」
希望のメッセージ
ヤコブ教授は現在、自身の慈善団体「Chain of Hope」を通じて、発展途上国の子どもたちに心臓治療を提供する活動に力を注いでいます。
「私は人類のために前進する歯車のひとつに過ぎませんでした」と教授は謙虚ですが、彼の功績は計り知れません。
教授の活動は、医療技術の恩恵を受けられない地域の子どもたちに希望を届けています。
それは40年前、バートとクライヴに希望を与えた手術の精神が、今も世界中で生き続けていることの証なのかもしれませんね。
バートは、現在移植を待っている人々へのメッセージとしてこう語ります。
「心臓移植を待つのが絶望的に思えて、手遅れになるかもしれないと不安になったとしても、決してあきらめないでください。新しい心臓との暮らしに希望を持って考えてみてください。これから先、幸せな日々が待っているはずです。私は人生のささやかな楽しみと今を生きることを学びました。今を生きましょう!」
まとめ
40年前、2人の少年の命を救った一つの決断。
それは医療の限界に挑戦する医師たちの勇気であり、臓器提供者とその家族の愛であり、そして何より、生きることを諦めなかった少年たちの強さであったように感じます。
そして、医学の進歩と人間の可能性は、私たちが想像する以上に大きいのかもしれません。
心臓移植後の寿命が短いと思っている人もいるかもしれませんが、バートとクライヴの40年にわたる記録は、今この瞬間も新しい心臓を待ち続けている多くの人々に確かな希望を与え続けているでしょう。